NHKがんサポートキャンペーン(2004年12月24日~2006年3月末日)
「日本のがん医療を変えよう委員会」医療現場からの提言
「明るい放射線治療をめざして」

 UMSオンコロジークリニック(旧:UASオンコロジーセンター)長 植松 稔

 

増加の一途をとげる放射線治療

私が放射線治療医を志したのは25年ほど前です。
あの当時と比べますと、放射線で完治するがんも、放射線をうける患者さんも本当に増えました。
特に目立つのは「前立腺がん」や「早期肺がん」「脳転移」を手術せずに放射線で治す方、「早期乳がん」の乳房温存療法で放射線を受ける方、「食道がん」を手術せずに放射線と抗がん剤で治す方などです。
これらの治療は25年前には存在していませんでしたので、本当に革命的な変貌を遂げています。
これらのほかにも従来から、耳鼻科領域の「喉頭がん」「咽頭がん」「舌がん」、産婦人科の「子宮頸がん」などが放射線で治療されてきたのですが最近では、かなり進行していても、抗がん剤を併用しながら放射線で完治を目指す患者さんが増えており、さらなる手術回避が進んでいます。 血液疾患の領域では「白血病の造血細胞の移植」や「悪性リンパ腫」の治療にも放射線は活躍しています。
また、完治目的ではありませんが、様々ながんが骨などに転移した場合に、その「疼痛緩和や骨折予防」に広く役立っています。

おそらく、今後も「肝臓がん、腎臓がん、膀胱がんなど」小さなものや、「胃がん、膵臓がんなど」手術できそうもないもの、「直腸がん」で人工肛門を避けたい場合など、放射線治療の適応はますます広がるでしょう。
放射線が、患者さんにとって喜ばしいことは、手術回避による臓器温存や機能温存だけではありません。
放射線治療の多くは、外来で行えるのです。
仕事を続けながら、家族との生活を続けながら、がんの治療ができる。 これは素晴らしいことで、「放射線ならでは」ともいえる利点でしょう。 実際に、私たちが治療した患者さんからも、「本当に身体に優しい治療だった。とても明るいがん治療だった。」という声がたくさん寄せられています。
けれども、世の中に、万能な治療法など決してありません。
放射線は、手術と同様に、全身ではなく局所(身体の一部分)の治療手段です。
その限界を超えた効果を期待しても、結局、役には立ちませんし、無謀に実行してしまうと、「やらなければよかった」という後悔にもつながるでしょう。
後戻りはできませんので、最初の適否の判断がとても大切なのです。

 

適切な判断が良い治療の第一歩

がんの治療をかんがえるときに「ワラをもつかむ思いで」と表現する方がいます。
切羽詰まった心情や置かれている状況がよく伝わります。
疼痛の緩和や精神的なケアなど、身体的負担の少ない方法を考える場合には、ご家族に近い気持ちで、できるだけ、このような心情を汲みとって考えたいものです。

しかし、残念ながら、放射線治療を検討するときには、この姿勢はふさわしくありません。
それは、放射線というものが、決して気休めではなく、しっかりとした治療手段だからです。
薬にも毒にもなりうるものなのです。 放射線は一般に、手術や抗がん剤と比べれば、身体に優しい治療です。
それでも、副作用はあるのです。
思惑がはずれて、役に立たなかった場合、むしろ害になってしまうかもしれません。
ですから「ワラをもつかむ思い」から選択してはいけないのです。
「感情」を少し抑えて、「冷静」に検討しましょう。 治療によって予想される副作用はなにか、得られるであろう有効性はどれほどか、このふたつを天秤にかけ判断する。
つまり、本当に患者さんのためになりそうかどうかを考える。これが放射線治療医の「最初の大切な仕事」です。
放射線治療がマイナスの結果にならないよう、受けて良かったと思えるよう考える。
とても大切なことで、明るい放射線治療は、ここから始まります。

 

ガイドライン~「標準」か「理想」か

放射線治療を実行する場合、どのような内容をプランするか。
これが、放射線治療医の「二番目の、そして最も大切な仕事」です。
これに関する最近の流行語は「エビデンス」と「ガイドライン」の二つです。
要するに「これまでに論文報告されたデータを分析し、最も標準的と思われる方針で行こう」ということです。
データが「エビデンス」であり、それを学会などでまとめたものが「ガイドライン」です。
つまり、過去の集大成を現在の標準として普及させようという発想です。
考え方としては悪くないでしょう。様々な事情から、標準以下の治療しかできなかった施設の反省材料にもなりますし、一定の基準が判るのは道標として有用です。 けれども、ガイドラインは決して理想などではありません。
それは、簡単にいうと、人間の治療は、機械の修理ではないからです。
背の高い人もいれば、低い人もいます。早く走れる人もいれば、そうでない人もいます。
これは、誰もが知っている個人差、生物である証ともいえます。
同じように、がん治療の現場でも、治療の副作用がでにくい人もいれば、強くでる人もいます。
顕微鏡では同じように見えるがん細胞でも、治療によく反応するものも、しないものもあります。
けれども、このような違いを前提にしてしまうと、ガイドラインなど作れなくなってしまいます。
ですから、とりあえず、個人差、個体差を無視してガイドラインは作られています。
だから、たとえば、ガイドラインに従って検査し、ガイドラインに従って治療したときに「あなたのがんが治る可能性は70%です。」というところまでは、たどり着けるかもしれません。
でも「治る70%に入るのか、治らない30%に入るのか。」 本当に知りたいその答えは、個人差なのですから、ガイドラインから判るはずはありません。
ガイドラインを過去の集大成と考えて、それに疑問や異論を持たない方は、素直に従うのも一法です。
しかし、ガイドラインに示された方針が、その患者に合わないと感じた医師は、それまでの経験をもとに独自の判断を加味してもよいと思います。
ガイドラインが作られた背景と根拠を知った上での逸脱ならば、きっと、その患者にとっては、ガイドラインに優る選択肢になることでしょう。標準に縛られたために、理想から離れてしまったのでは、本末転倒としかいいようがありません。
現在、放射線治療は「手術せずにがんを治す」という本来の目的に向かって、大きく変貌を遂げている真最中です。
まだまだ前進の余地があるのですから、昨日の標準を明日の理想に掲げている場合ではありません。
そして、そのためにも、忘れてならないのは「医療の真実は、学会場ではなく臨床現場にある」ということです。
何をどうしたらどうなったのか、現場での判断が最重要です。

 

さらに明るいがん治療をめざして

ひとつひとつの治療の成否、その答えは、患者さんの経過の中にあります。
放射線治療医の「三番目の大切な仕事」は、自分が治療した患者さんの経過を何年間にもわたって正しく診ていくことです。
人間が人間を治療しているのですから、臨床の現場では、予想しなかったことが起きることも、しばしばあります。
そして、それに医療従事者がすぐに気づくこともあれば、見落としてしまうこともあるかもしれません。
ですから、患者さんやご家族も、がん治療に関わる当事者としての意識と自覚を持って、医療従事者と一緒に、治療を見つめ考えていく姿勢が望まれます。
治療方針の決定、治療の実施、そして経過観察。

これらを、患者さんが医療従事者の助けを借りながら、自ら行っていくのだと、いう位の気構えで臨まれるのでしたら、とてもよい医療になるのではないでしょうか。
真に「明るいがん治療」。
それは、誠実な医療の現場からしか生まれません。
過去に得られた「知識」と「経験」という宝物を、現在に生かす「知恵と感性」。
それらが合わさって、未来の「明るいがん治療」の礎になります。
患者さんは何を望んでいるのか、そして、私たち医療従事者は、それにどこまで応えられているのか。
治療するものも、治療を受けるものも、みんなが、そこから目を反らさずに進んでいくのであれば、放射線治療の明日はきっと、さらに「明るいがん治療」につながっていくはずです。

 

 

 

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