オンコロ的奇跡の連鎖 11 患者さんからの手記「旅行気分で明るいがん治療」

「旅行気分で明るいがん治療」

東京在住 笠原 信雄

最初に言いたいのは、私が植松先生に辿り着き命を救われ2018年7月現在81歳でこんなにも元気で日々過ごせているのは、まさに先生のおっしゃるセレンディピティそのものです。
いくつかのターニングポイントで妻や家族、知人、友人、さらには関わってくださった医師の助けがあり、予想もしていなかったのに思わずいいことに出会いその出会いを自らの手で掴み取ったからです。
2007年3月当時70歳、成人してこの方、病気らしい病気は皆無、体調良好、食欲旺盛、現役でバリバリ仕事をこなしていました。年1回の検診で何となくオプションで5000円を払い、CEA検査を受けましたところ標準値5以下の検査数値がなんと30.2と出ましたので早急に総合病院で精密検査を受けるよう診断されました。何かの間違いだろうくらいに軽く考え、仕事のことが気がかりではありましたが周りの勧めもあり、それでは念の為一応調べてもらいましょうとほんの軽い気持ちで武蔵野赤十字病院にて4月から5月末までかかって大腸ファイバー、甲状腺・頚部超音波、胃ファイバー、CT(胸・腹部)、核医学(骨シンチ)、MRI(頭部)、造影透視33番(PET)と順次全身の精密検査を受けました。
最終的な診断として、第4期に近い第3期へ進行している肺癌でリンパ節へも多発に転移しているとのことで、発生場所も心臓に近く手術は無理なので抗がん剤+放射線照射の治療が必要ですと勧められました。
実父も肺癌で苦しみながら71才で亡くなりましたし、身近にいた友人も肺癌の手術後抗がん剤の副作用で、頭髪が抜け落ち食欲不振で吐き気がしたり、体調不良のまま苦しみながら命を落としました。
間近で見てきた肺癌、まさか自分が!!
呼吸器科の部長より告げられたのは、通院治療も可能でしたが最初は入院した方が良いでしょう、ただし今はベッドに空きがないので1ヶ月近く待ってもらう必要があるとのことでした。
即入院治療開始と言われていれば、まさしく言われるがままその通り従っていたことでしょう。まず、この時点が運命の分かれ目のはじまりでした。
病状が確定しましたので即勤め先へ退職届を出し、ごくごく親しい友人、親会社の社長、のっぴきならない取引先の社長等ごく少人数の方々へ知らせましたところ、前橋市在住の友人が、その日の内に石原結實先生の著書『ガンは「血液」で治る』他計4冊を持って車で自宅まですっとんできてくれました。早速妻共々全冊熟読し内容に共鳴しましたところ、妻が出版社に連絡を入れ石原先生の都内の診療所の連絡先を調べて電話を入れました。先生は当時昼の番組に毎日ゲストとして出演されていたので、家内は名前を聞いただけですぐ石原先生のことだと分かったそうです。ところが診療予約は2年先まで満杯と言われ、ビックリ、粘ってやっと聞き出したのは、先生はご自宅のある伊豆高原でヒポクラティック・サナトリウム((断食=標準的には10日間コースで身体の中の汚れた血を綺麗にする、要するに病気になったときには外からの治療よりむしろ、身体の治療力を活かすことが重要で年1回~2回の人参・リンゴジュースダイエットをして体内を浄化する事が大事とのこと))を経営されていて、土・日曜はそちらにおられるということを聞きだしました。
早速現地へ連絡させていただき、見学がてら一泊で伊豆高原へ出向きました。運良く石原先生の2時間半にわたる講演を聞かせて頂き、その上診療まで受けることができ病状を詳しく申し上げると、すぐ竹口真弘氏(植松先生の著書「明るいがん治療」の中で手記を掲載されている方で、肺癌完治後毎年ここのサナトリウムへ断食に来られている方とか)に電話を入れ、私との間で会話の機会を作ってくださり、すぐスタッフに命じて植松先生の所在を調べて「月曜日に慶應義塾大学病院で診察されているようだから紹介状を書いてあげますから、すぐ(実は翌日)朝一番に行きなさい。」と矢次早に事を進めて下さいました。
翌朝信濃町の慶應義塾大学病院へ行きました。ところが診察に出て来られたのは植松先生ではなく放射線科のK医師で、「診断結論としては日赤と同じ意見で、放射線+抗がん剤の治療が必要であり、武蔵野日赤も立派な病院なので自宅からの便なども考慮されてあちらで治療されたらいいでしょう。」とのことでした。しかし、ふと紹介状に気付かれ「植松先生にまわしてあげなさい。」と看護師さんに命じられたところ、看護師さん曰く、「植松先生は初診は一切受け付けていません。再診の方のみ診察されていますからダメです。」とのこと。K医師は「せっかく紹介状まで持ってこられたのだから先生にまわしてあげなさい。」と。K医師の機転に感謝しながらやっとのことで植松先生にお会いできました。
植松先生の四次元ピンポイント照射治療は東京ではなく鹿児島の現称 UMSオンコロジークリニックでしか実施していないことと、もし希望するなら治療には約2ヵ月必要で、日赤からCT・PETの画像を借りて持参し、セカンドオピニオンを受けて欲しい旨言われました。
「鹿児島で2ヵ月?」と決心がつかないまま、病院の売店で植松先生の著書「明るいがん治療」を購入し、その日の内に熟読し治療方針には家内共々これしかないと十分納得したものの、どうしても鹿児島で、ということがひっかかり前述の石原先生へ事情を速達したところご多忙中にも関わらずわざわざ電話を下さいました。
「何を迷っているのですか、治療方針に納得されているのだからすぐ行きなさい!!外国ではないでしょう、たかが鹿児島でしょう、サナトリウムへは完治してからこればよろしい。」と強く背中をポンと一押しして下さり、ではと決心がついた次第です。
早速日赤へセカンドオピニオンの申し出をしましたところ、よく耳にする担当医からの嫌がらせや反対など一切なく部長先生がすんなり承諾して下さりCTとPETの画像と紹介状を出してくださいました。
7月7日セカンドオピニオンは天王洲アイルにある先生のオフィスで受け、その場で8月21日のPET検査の後、即治療開始と決めて頂きました。通院可能で1ヶ月の治療もごくごく短時間で終わると伺いましたので、時間があり余るようだからとマイカーで行くことに決めました。
家内を東京に残しておいたら心配の日々を送るだろうから一緒に連れていくことにしました。治療期間中2人でホテル住まいということになり、たまたま家内の兄が鹿児島出張の際、常宿にしていた照国神社のすぐ隣の天然温泉付きの吹上荘を紹介してくれて、長期滞在朝食付き・ツイン・洋室をリーズナブルな価格宿泊出来て助かりました。しかもオンコロジーまで徒歩5分ですから。
8月21日から10月6日まで46泊ホテルへ投宿し、日曜祝日を除く34日間治療を受けました。
8時30分迄に通院し、まず抗がん剤の点滴、放射線照射の為照射室へ入って出てくるまではほんの数分、衣類は着たまま、バンドだけはずしてベッドに横たわり、設備の下をベッドが右に左に移動して照射をされているだけで痛くも痒くもなくあっという間に終了。こんな楽ちんな治療なんて! 待ち時間も含めても10時前後にはもう自由時間で、恐れていた抗がん剤の点滴も先生が調節して下さり、何ら副作用もなく食欲旺盛で3度の食事が楽しく、普通の健康人の生活そのものでした。
鹿児島滞在中はなんと1日も雨天が無く、平日は毎朝免疫力・足の筋肉をつけるため城山展望台を往復し、朝風呂に入り一週間ごとにかわる献立のおいしい朝食を食べ、通院後の自由時間で周辺を何キロも散策したり、近辺をドライブしたりすることが日課となっていました。日曜・祝日は休診のため、桜島一周を皮切りに薩摩半島・大隅半島・熊本・宮崎それぞれ県下の名所を順次めぐり、先生が学会へ出席のため5日間休診の週があった時は、それっ!と屋久島まで足をのばし現地ではレンタカーを利用し島の隅々まで観光しました。先生の治療のおかげで身体の調子が良く、治療に来ているというより九州旅行を楽しむために過ごしているようなのんびりした気楽な日々を送れました。結婚以来常に仕事優先で家庭のことはほったらかしにしてどこへも連れて行ってやらなかった家内に対して、少しは罪滅ぼしが出来たかなとほっとした次第でありました。
何と言っても私が声を大にして伝えたいUMSオンコロジークリニックの他と比べようのない素晴らしい4大ポイントとは、
⓵ 優れた機械の完備(四次元ピンポイント照射が可能な放射線設備)
⓶ 各患者の治療プログラムを判定、確定される優れたディレクターである植松医師の存在
⓷ 高い技術力を持った極めて優れた技師陣の存在
⓸ 患者の気分を和らげる明るい雰囲気を持った看護師やスタッフの存在により、治療待ちの4階フロアがとても明るく、清潔で談話サロンのような様子で気分が良く楽しくリラックス出来たことは闘病の身にとってはとても心理的にはプラスの影響大であったと確信しています。
ランチの美味しいお店の情報交換とか、旅行先にどこそこがどんなに素晴らしいとか、さらに外国へ話が飛んで、パリは、ローマは、スイスは、ハワイは…等々皆さん結構今まで楽しんでおられたようで話が弾んでいました。
さらに宿泊先のホテルでも各場所のスタッフの方々がよく教育されていて、常に明るく気易く応対してくださり、本当に毎日が楽しく過ごせた46日間でした。
翌年4月、多発リンパ節転移を含めて当初のPET-CTで認められていた病巣はすべて消失していましたが、残念ながら上頚部のリンパ節へ転移が出現しておりました。これで肺がんのステージは第4期になりましたが、幸い単発の転移でしたので、1日から26日まで前回同様楽な治療を受け、以降年2回PET-CT検査、診察を受けるため鹿児島通いを続けてきました。ラッキーなことに2010年11月の検診の際、腹部大動脈瘤を見つけて頂き命拾いしました。直径5.5cmの瘤をステンドグラフト内挿手術で治療ができ、何と自分は運が強いことだと痛感しました。この病の恐ろしさは気がつかないまま動脈瘤が大きくなり破裂して、病院へ運ばれて手術が間に合わず命を落とすことが多いにあるとか。本当に助かりました。
2012年腰部脊柱管狭窄症の手術も経験しましたが、ステンド内挿ともども身体にメスが入る手術がどんなにつらいものか、それに引き換え植松先生のなんと楽ちんな治療が存在するとは!
植松先生の治療以降、日常生活上健康維持のため、雨以外毎朝いろんな番組から取り入れた腰痛予防の15分間の体操をした後、8km弱の距離を90分かけて(途中80段の階段を3往復して)早足散歩をしてきましたが、さすがに80歳を超えた現在では距離も縮めて70分の散歩と1回の階段往復に減らし、あくまで継続が大事と頑張っています。野川沿いに都立武蔵野公園、野川公園の林道を四季の変化を楽しみながら歩いています。NK細胞を活性化するためです。好きな旅行も回数は減りましたが、JAL+レンタカー、JR+レンタカーの旅も年数回は楽しんでいますが、こんなに健康で生活出来るのもあの時植松先生に出会えたことが全てです。
本当にありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。