オンコロ的奇跡の連鎖 1 患者さんからの手記「ピンポイント照射 鹿児島の旅」

 
オンコロ的奇跡の連鎖に加わる患者さんから手記が届きました。
標準治療から離れて病状が改善したステージ4の乳がんの患者さんです。
標準治療を続けることに疑問を持つ方の参考になると思います。
これからも同様の患者さんには少しづつご自分の言葉で語っていただくことを
お願いしてみようと思います。
 
 

「ピンポイント照射 鹿児島の旅」    氏名:A. F.  

 
今年(2009年)の2月に鹿児島のUASオンコロジーセンターでピンポイント照射を受けてきました。
UASオンコロジーセンター(現:UMS オンコロジークリニック)は鹿児島市の中心部 天文館という繁華街の近くにあります。
朝8時の飛行機で羽田を発ち鹿児島空港に10時に着き、リムジンバスに乗り約40分で着きました。
初めての一人旅で九州も初めて。二週間という長旅も初めてという初めてづくしで出発前からドキドキでした。
鹿児島は昨年放送された大河ドラマの篤姫ブームで、観光客も多く活気がありました。
滞在していたホテルは病院のすぐ裏で、近くには薩摩藩の島津斉彬公を祀る照国神社、県立博物館に黎明館など文化施設が集まる県の中心地であり、鹿児島の町と桜島が一望できる城山展望台や水族館など見所がいっぱいでした。長期滞在になるので生活が不便ではないのかと心配しましたが、歩いて行けるところに何でもあるので快適でした。バスで20分くらいの所には、名勝「仙厳園」があります。仙厳園は島津家の別邸跡で、篤姫のロケが行われた場所でもあり、とても素晴らしい庭園です。そこから見る錦江湾に浮かぶ桜島は壮大でとても美しかったです。
主婦にとって二週間も家を空けることはそうあることではありません。
治療時間も短く強い副作用もないので、ほとんどが自由時間。せっかく行くのだから楽しまなくては損。
治療は先生方にお任せするしかないので私はとにかく楽しもうと、行く前からワクワクしていました。
鹿児島は食べ物も美味しく名物がたくさんあります。薩摩焼や薩摩切子など伝統工芸品もいろいろあって興味深く、毎日近くの観光スポットを散策したり、お土産を探したりしていました。
途中お見舞いと称して主人が来てくれたので、二人で知覧の特攻平和会館と武家屋敷を見学し、指宿の砂風呂で疲れを癒してきました。
部屋では普段なかなかゆっくりできない読書をしてほとんど一人で過ごしていましたが、寂しいと思うことはありませんでした。                  
嬉しくて幸せで、感謝の気持ちでいっぱいでした。心も体もがんも癒してくれた鹿児島の旅でした。

私は4年前の初発の治療で再発予防の放射線治療をがんセンターで受けました。
その時は胸にマジックで印を付けたので汚れても大丈夫な服しか着ることができませんでした。
もちろん服を脱いで治療を受けました。
ピンポイントの治療では 驚くことに服を着たまま、ブラジャーもつけたまま、着替えもせずに受けました。
毎回CTを撮り腫瘍の位置を正確に確認しているので印をつける必要がありません。高い技術があってはじめてできることだとは思いますが、治療している感覚はなくとても楽でした。服を脱いで手術痕を見られるというのは、女性としてはやっぱり抵抗があるので、服を脱がずにできるというのはとても嬉しいことでした。
一回あたりの治療にかかる時間は20分ぐらいです。ただ台に横になるだけで終わりです。
入院の必要がないので、病気で治療をしに来ているということを忘れてしまいそうでした。

治療中一度ゆっくり先生とお話させて頂きました。服を脱がないことにとても驚いたと伝えたら、「患者さんのストレスになることはしない」「ストレスが病気にとても悪い。同じ治療をしてもストレスがあるとないとでは、結果が違ってくると思う」と言われました。
治療の可否については、数とか大きさではなく 患者さんの全身状態、病気の状態、経過などを総合的に考えて、先生の20年以上の経験から患者さんにとって治療が役に立つと判断した場合にはするそうです。
治療日数については、人それぞれの病状によるので人によって違うとのことでした。
他にも日本の医療の問題点など、いろんなお話を伺うことができて、私にとってはとても貴重な経験をさせていただきました。

私は2004年の9月乳がんの告知を大学病院で受け、がんセンターに転院しました、
リンパ節転移もありトリプルネガティブだったため、半年間の術前化学療法を受け、翌4月に手術を受けました。
術後すぐに再発予防の放射線治療を受け、その後無治療になりました。
そして術後一年の検査で胸骨傍リンパ節、鎖骨上リンパ節転移が見つかりました。
主治医は腫瘍内科医でしたので、抗がん剤を薦められましたが拒否しました。
再発してからの3年間に動注化学療法を3回しました。そのほかの治療は受けていません。
再発がわかったとき放射線治療も考え、がんセンターで聞いたところ、術後の放射線治療と場所か近く、出来ないと言われました。そこで他の病院で動注化学療法を受けることに決めました。
動注化学療法は腕や鼠径部から腫瘍のある場所までカテーテルを入れて抗がん剤を注入する治療です。
点滴とは違い局所に大量に薬を注入できるので、全身のダメ-ジは少ないし腫瘍そのものには効果が期待できると思います。しかし点滴ほど楽ではありません。鼠径部から入れた場合は、出血防止のため長時間動くことができず、トイレに行けないのが困りました。
動注はあまりないと言われていた副作用がありました。点滴の時程ではありませんでしたが。2日ほど吐き気とふらつきで寝込み、少し脱毛もありました。
私の場合、治療の後遺症で抗がん剤が漏れて肺がつぶれたり、細胞が壊死したりということがありました。
一回目に動注をしてPETを撮ったところ、変化はほとんどなかったのですが、効果がありそうだったので再チャレンジしました。2回目の後のPETでは、胸骨のリンパは消滅。鎖骨の方は若干の集積はありましたが、かなりの減弱という結果を得たので様子をみることにしました。時々検査をしていましたが、あまり変化がなくその間は丸山ワクチンや安価な顆粒の漢方薬を飲んでいるだけでした。しかし、一年半後に撮ったPETで少し集積が強くなっていることがわかり、3回目の動注をすることにしました。
その頃、そろそろ次の手を考えておきたいと思い、ある先生のセカンドオピニオンを受けました。
「放射線治療はどうでしょうか」と聞いたところ、「四次元ピンポイントなら今あるものは消える。ベストは鹿児島のオンコロジーセンター」と言われました。その時はもう動注を受けることになっていたので放射線は考えず、動注の治療を受けました。その後8カ月放置していましたが、去年の年末に撮ったPETで若干集積が強くなっていたのがわかりました。
そのまま無治療で様子をみようかとも思ったのですが、無治療でも他の場所に出ていなかったので、去年の4月に受けたセカンドで「局所の治療で根治の可能性もある」と言われたことを思い出し、植松先生のセカンドを受けることにしました。セカンドには主人も一緒に行ってもらいました。
そこで、植松先生から「今あるものは90%以上の確率で消える」と言われました。
しかし自由診療の為、高額な費用がかかってしまいます。今あるものは消えてもすぐに他に出て来る不安もあります。旅費もかかるしパートの仕事も二週間も休まなくてはいけません。
わりと軽い気持ちで値段もよくわからない状態で行ったので即決することは出来ずに家に帰りました。
いろいろ考えましたが、主人が「やってみたら」と背中を押してくれたのでチャレンジすることにしました。
主人は、「90%以上の確率で消える」とおっしゃった先生の自信と、「サービス業ですからお待たせしません」と言う言葉に驚いたと言っていました。
会社もこの不景気で仕事が激減して休みを取りやすかった事、大学生の娘が春休みで家事もなんとかなりそうだった事、それに今のところ他の場所に転移がない。そして主人も賛成して、協力してくれる。
ピンポイントをやるなら条件がそろっている今だと思い、治療を受けました。

先日ピンポイント放射線治療後3カ月でPETを受けた結果、腫瘍が消えていることがわかりました。
他の場所にも今のところ異常がありませんでした。
本当にホッとしました。
もちろん油断はできませんし先のことはわかりませんが、これからも何かあったらそのつど真剣に考え、自分らしく治療していきたいと思っています。

この3年間、いつも会長に相談に乗っていただき、自分なりの治療をしてきました。
最初は術後一年でリンパ節に転移、トリプルネガティブでもあり、なかなか厳しいなと思っていました。
それゆえ真剣に自分の治療を考えました。
術前にやった抗がん剤はかなり強いもので、副作用が強く出たにもかかわらずあまり効果はありませんでした。残されている薬も少なく不安はありましたが、今すぐ命に関わるわけではないので、全身の治療はしたくないと思いました。どうしても必要になった時の為に取っておこうと思いました。
でも何もしないのも不安なので、姑息を承知で動注を受けました。
それ以外では丸山ワクチンや、太極拳、食事療法など自分で無理なくできることはいろいろやってきました。
私の場合 自分の性格や心の持ち方が病気に悪影響を与えていた気がするので、考え方を変える努力をしてきました。
何が良かったのかわかりませんが、完全に消えはしませんでしたが、それほど大きくもならず増えもしませんでした。鎖骨上は自分で触れることができたのですが、大きくならなければいいと思ってあまり気にせずに過ごしていました。
自分でできることを(食事、運動など)することや、病気を克服した人たち、うまく共存している方を知ること、それに健全な死生観を持つことで不安や恐怖感を減らすことが出来ると思います。
それは病気に立ち向かう上でとても大切なことだと思います。

2017年9月 追記

上記は2009年にリンパ節転移をオンコロジーセンターで治療後、患者会ソレイユの会報(2010年)
に体験談として載せて頂いた原稿を少し書き直したものです。
(ソレイユは会長が80歳を迎えたのを機に2013年に解散しました)

転移の治療は誰にも正解がわからず、ましてや医学的な知識も乏しい私は右も左もわからない状態でした。
私はトリプルネガティブで抗がん剤が効かず、それでもなんとか治りたくて、患者会で相談し、セカンドオピニオンを受けるうちにオンコロジーセンターに辿り着きました。

私は術後1年のエコー検査などで胸骨のリンパ節に転移が疑われましたが、当時のがんセンターの主治医からCTを撮るのに3か月先まで予約がいっぱいで撮れないと言われ、確定診断されないまま「様子見る?抗がん剤やる?」と言われました。私は3か月もCTを撮るのを待っていられないと思い自分で他の病院に行き、CTを撮ったのですが何も映らず、念のため別の病院で受けたPETで胸骨傍リンパ節と鎖骨上リンパ節の転移が見つかりました。
初発の術前に当時の標準だった強力な抗がん剤治療を受けました。完全脱毛や吐き気などかなり辛い副作用があり引きこもり生活を強いられました。その当時知り合った再発患者が抗がん剤治療を受けても、次々と亡くなっていくのを見て、抗がん剤で辛い思いをしても助かることは難しいということ痛感しました。あの辛い副作用を我慢しても私の場合はいい結果が出るとは思えず、たとえ命が短くなったとしても普通の生活を少しでも長くしたいと思いました。
そこでがんセンターを離れ独自の治療をしてきました。患者会で動注化学療法をしてくれる先生を教えて頂き、肺転移発覚後はセカンドオピニオンを受けた先生に診ていただくことにしました。
リンパ節転移をオンコロジーセンターで治療後 1年後に肺転移して生命の危機を感じました。
やはり全身の治療をしなくては意味がないのかと迷いました。確率は低くても試していない抗がん剤で効く薬があるかもしれないと淡い期待をし、はじめは副作用の軽いものから試そうと、ゼローダやTS-1を2カ月だけ試しましたが、効くどころか増大してしまいました。この先私に効く薬が出てこないという断言はできませんが、これまでの経験から私には抗がん剤は効果がないと確信をしました。
効くのなら多少の辛さは我慢できるかもしれませんが、私は副作用が強く出過ぎて耐えられないので、効かないことにある意味ほっとしました。
友人で大きな癌が術前治療で奏功した人や何年も分子標的薬の抗がん剤をして延命している人、副作用が軽い人がいるので、抗がん剤をすべて否定するつもりは全くありません。

私は抗がん剤治療に見切りをつけて、肺転移もオンコロジーセンターで治療していただき7年半の寛解を得ることができました。セカンドオピニオンの先生から「極めて稀な大当たりを引き当てた」というお言葉を頂きました。本当にラッキーだったとしか言いようがありません。
私の場合、初発の標準抗がん剤治療を受けたことは正解ではなかったかもしれませんが後悔はありません。
やったことによって自分には効果がなかったということがはっきりとわかったからです。
動注治療を含め、すべての治療は自分でよく考え、納得して受けたので全く後悔していません。

がんは人生観をも変えてしまうほどの辛く苦しい体験ではありましたが、得たものも多かったです。
今元気でいられるのはUASオンコロジーセンター(現:UMSオンコロジークリニック)で治療していただいたからです。
本当に感謝しております。ありがとうございます。

A. F.