オンコロ的奇跡の連鎖 ご家族からの寄稿

当方で治療を受けた方のご家族からの寄稿です。

遠隔転移がでてしまうと抗がん剤の治療しかないと言われてしまう、本当に偏った、奇妙な世の中になってしまってから久しいですが、
20年くらい前まで大腸がんの肺転移や肝転移には外科手術がよく行われていました。

そして、1カ所、2カ所くらいの転移なら、その後に新たな転移が出ず完治する患者さんも結構いたのです。

この患者さんは1-2カ所どころか、全部で都合7カ所の転移病巣を治療した後、6年以上どこにも転移がでていません。

標準治療の名のもとに抗がん剤を続けている方には、おそらく起こりえない経過ではないかと思います。

 
 

「5回の再発・転移を乗り越えた…私の父」    平成29年11月 Y.A.

私の父は、69歳の時に大腸がんが見つかった。
すぐに手術で摘出したものの、術後に「リンパ節への転移が認められステージ3の状態」と当時の主治医から言われた事を今も覚えている。
手術後には、再発・転移の予防のため抗がん剤治療を受けたが、副作用で臭覚が消失したため1年間で終了。
以降、抗がん剤はすべて拒否している。しかし、手術から2年もたたないうちに左肺へ2カ所の転移がPET検査で発覚。これを再び手術で摘出した。この2回目の手術後は、寒い冬で体の回復に時間がかかり、こたつで苦しそうに療養していた事を鮮明に覚えている。
しかし、その1年3ケ月後には、再び左肺に転移がんが見つかった。“摘出しても摘出しても”次から次に出てくる“転移がん”。「今度も手術をするのだろうか?体を傷つけると回復に時間がかかるから、かわいそうだ」と思っていたら、別の治療法を見つけてきた。それは、全国に先駆けて、鹿児島で出来る放射線治療だった。この治療については、地元放送局のニュース番組で特集をしていたが、CTやX線、放射線治療装置が一つの部屋にそして、一直線に並ぶ画期的な治療法だった。その施設(UMSオンコロジークリニック)で、父が最初に肺転移の治療をしたのが、2008年の2月。「初めての治療で少々不安はあったが、全く痛みもなかった」と父。
その後、3ケ月後には、怪しいと言われていた右肺の腫瘍が増大して転移がんと診断。その7ケ月後には左肺の別の部位に転移がんが見つかり、そのたびに放射線治療にお世話になった。病院に入院すると、日常生活が制限され何かと不自由だが、自宅から自分の運転で通え、自分のペースで治療を受けられる事はとても有難かったのかなと思う。“母の作る手料理”や治療中にもかかわらず楽しめた“晩酌の焼酎”も、薬だったのかもしれない。
そして、2008年の10月の3度目の放射線治療からすっかり元気になった父は、持ち前の前向きな性格を取り戻し、地域の活動に再び参加するようになった。その活動の中でストレスがかかったのか、4回目の再発から2年6ケ月たった2011年4月、今度は右肺の別の場所と鎖骨の横のリンパ節に転移がんが見つかった。実に5回目の再発だった。リンパ節に広く放射線を当てたため、1ヶ月に及ぶ治療をうけたが、持ち前の気力と体力でなんとか乗り切った。
それから6年。今も毎年、PET検査を半年ごとにうけているが、もう、父の体から、がんは出てこない。
父は今、82歳。高齢で、右腕の動きは悪くなったものの、結婚して55年になる母とたまに口喧嘩をしながら好きな庭いじりをし、そして2人の孫の成長を何よりも楽しみにしながら、平穏な日々を送っている。
もしも、2回目の肺への転移の際、体に負担が大きい手術や抗がん剤治療を選択していたら、その後、3回にわたる再発を乗り越えられただろうか?体に優しいがん治療を選択し、5回もの再発を乗り越えて、今をしっかり生きている父を誇りに思う。「5回目の再発から6年。がんの再発・転移もなく、これからも感謝の心をもって、生きていきたい」。
お父さん、これからもお母さんと仲良く明るく頑張って!

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