オンコロ的奇跡の連鎖 10 患者さんからの手記「今も、元気ですよ 肺がんステージ4から生還しました」

 

「今も、元気ですよ
   肺がんステージ4から生還しました」

                          大阪在住 S. Y. 82歳

 
 鹿児島で治療を受けてから、10年(当時71歳)になります。今日も元気です。

 昨秋もいつもの大阪の病院で検査を受けましたが、ガン細胞は一つも見つかりませんでした。現在の私は月2~3回マダムランチの会、又、芸大卒のソプラノの先生を囲んで歌の会観劇、コンサート、映画等、楽しい時間を過ごしています。
 その日以外は百人一首や季節の花の水墨画を色紙に書いています。
3年前より「マイカレンダー」を作りアメリカの友達に送っています。
植松先生に助けて頂いた命しっかり有意義に使っています。

 今年の大河ドラマで鹿児島の景色を見ながら、10年前泣きながら歩いた道、元気をくれた景色を懐かしく思いだし、もう一度歩いてみたい気持ちです。今だったらもっと元気に明るい笑顔で歩けると思います。
 
 10年前、私は脳梗塞で半身不随になった頑固な主人の介護を5年半続けていました。終わりを迎えた頃、身も心もぼろぼろでした。そして、肺癌が再発・転移してオンコロジーで治療を受けたのです。

 そもそもは、2004年9月に肺腺がんの診断で左肺の切除を受けました。肺門部にリンパ節転移があり、T1N1M0 ステージ2Aとのことでした。そのまま治ると思っていましたが、2006年3月に脳転移(右視床付近)がでてガンマナイフの治療を受けました。その後の経過観察で脳は落ち着いてくれましたが、腫瘍マーカーのCEAが徐々に上昇してきて、2007年9月にPET-CT検査で縦隔のリンパ節に転移が二カ所みつかりました。そこから、オンコロジーのお世話になったのです。
 
 治療は三回目であり、ガンの場所が悪く、手術もできない、イレッサしかない、最初の入院の時友人がイレッサで苦しみながら亡くなったのをみていたので私はイレッサでは死にたくない。でも命は惜しい、どうしようかと悩んでいる時、植松先生がNHKのテレビに出演なさっているのを見たのです。すぐにインターネットでコンタクトをとりました。

 先生は渡米中でしたが帰国後すぐ連絡があり鹿児島へ行きました。診療の結果は大坂の先生と同じでした。リンパ節がはれている場所が食道に近く、1か月遅れると命の保証はないとのこと。その時私が先生に言った言葉「先生病気を治してください。治るまで大阪へは帰りません。」先生の困った顔が今でも目に浮かびます。なおりたい、もう一度人生を楽しみたい。

 そして、手術のつらさもガンマナイフの痛さもない治療、オンコロジーでは50日間、心の戦いでした。

 大阪の自宅ではいつまでも帰ってこない私をもうだめではないかと心配していたそうです。私は午前中は病院、午後は体力をつけるため鹿児島市内を歩きました。島津斉彬・久光の銅像がある照国神社のお守りをいただき、どうぞ私を助けて下さいと祈りました。

 その祈りが通じて、この10年余りがんとは無縁の生活です。

 植松先生ありがとうございました。
 まだまだ元気に生きますよ。