年貢米と税金 この似て非なるもの

お米は本当に美味しい。長らく米が主食の日本には年貢米の制度がありました。
海辺では魚介類、内陸ではジビエなど地域ごとの副食もあったでしょうが、
毎年収穫され越年しても腐らず全国どこでも重宝されるお米は、お金が流通する以前の日本で年貢として最適であったことは容易に想像されます。

 

農民は領主さまに年貢米を献上し、かわりに盗賊や山賊から田畑と命を守ってもらう。
このような統治形態が自然に形成されたことは想像に難くありません。
豊作のとき年貢は高くても、不作の年は低く抑える領主は農民から慕われ、無理矢理高い年貢を毎年むしり取る領主は鬼と呼ばれて、
本当に酷い場合には百姓一揆もありました。

 

考えてみると当たり前ですが、米の最初の所有者はあくまでも農民です。領主は年貢を取り立てて初めて米を手にしました。
その後、領主はその年貢米を利用して、他の地域の領主から自分の領地にはない物を入手したりしたわけです。

 

この風習が日本人に馴染んでいるためか、誤解している人が多いので指摘しておきたいと思います。お金を最初から持っていた日本人は一人もいません。
お金は国の責任で発行され配布された後に、初めて国民の手に渡ります。それまで国民は全くお金を持っていないので税金を払える人は一人もいません。

 

つまり、お米とお金はその出所がまるで違う。政治や税金について考えて思い当たったのですが、過去に教わった記憶はありません。
常識として認識している方は大勢いらっしゃるのかもしれませんが、このことに気づくと、税に対する認識がまるで違ってしまいます。

 

国民は最初全くお金を持っていないので、その段階での徴税は不可能です。まず国が通貨を発行し、国からの依頼で仕事をした国民に仕事の対価としてお金を渡します。
例えば、道路や橋を造る建設国債。例えば国家公務員の給料。
或は素晴らしい土地や物の所有者から国が国有地、国有財産として買い取る。

 

そのお金を手にした人たちが今度は民間相手にお金を使う。
その結果、お金が社会に流通していく。大きな収益を上げた人からは国が徴税し貧しい人を支える施策を考える。
お金を発行しすぎるとインフレになるので、政府はインフレ傾向を見定めて通貨発行と徴税を行う。どう考えてもこの理屈でしょう。

 

だから、毎年の国の予算を税収の中から組み立てようとする「プライマリーバランス」という発想は、脳みそが沸騰してもありえない。
国の中枢が「プライマリーバランスの黒字化」などと言っていたら、その国が衰退するのは自明です。
無いところから取っていたら潰れてしまうだけです。

 

大企業が利益を上げても法人税減税、生活困窮者がお米を買っても消費税。この史上最悪の領主さまに抗うただ一つの方法は選挙での百姓一揆です。
自由民主党と日本共産党、今や自由と民主主義を本当に大切にしているのは、後者ではないかと感じることが増えました。
もはや、日本の政治において右か左かというイデオロギーの時代は終わっているのです。

 

現代日本の政治課題は「脱緊縮財政」、すなわち「積極財政」の推進です。だからこそ「れいわ新選組」の時代なのです。

 

メリークリスマス!

2021年12月25日  植松 稔