治療後の経過観察の重要性とがんの転移について

治療後の経過観察はとても大切です。

 
がんという病気はすべて慢性疾患です。これは、どの部位に発生しようと、どのような進行度であろうと変わりません。ですから、しっかりとした治療を受けることと同じくらい、治療後にしっかりと経過観察を続けていくことが重要になります。どのような治療を受けた後でも、病気が完治しているのか、何かしらの形でぶり返してくるのか、これは経過を診なければ誰にもわかりません。患者さんの身体の中に顕微鏡レベルのがん細胞が存在しているかどうか、これを調べる検査方法は世の中に存在していませんので、がんが目に見えるくらいの大きさにならないと、再発・転移を見つけることはできません。もしも病気がぶり返してきた場合に、何かしらの手を打つという前提でものを考えるのなら、特に放射線治療のような局所的な方法で対応しようと思うのなら、比較的小さなうちに見つけたほうが、当然、治療の選択肢の幅が広がります。

最近は本当に大勢の患者さんが治療を受けに来られるようになりましたが、以前と比べると、治療後に病状が改善していることがわかると安心してしまうのか、経過観察に熱心でない患者さんが増えているような印象があります。これは望ましいことではありません。
 

がんが大きくなる速度について

 
初めてがんの診断を受けたときには、急に病気になってしまったような印象を持つ方もおられますし、再発や転移が見つかったときには、急速に進行してしまったという気持ちになることもあるかと思います。しかし、身体の中で、がん細胞は一定の速度で細胞分裂を繰り返して数を増やし、逆にがん細胞に寿命がくれば一定の速さで脱落しています。その差として、がんの塊は徐々に大きくなります。
喩えてみれば、ある地域の人口が増えたり減ったりするのと基本的には同じ原理ですが、がん細胞の数が減っていくような場合はがんの塊は大きくならないのでがんの診断にいたりません。

また、大勢の患者さんを診ていると、がんの塊が大きくなる速度が速い場合も遅い場合もあり、個人差がとても大きいことがわかります。この個人差の本質は、微妙に異なるがん細胞の遺伝子の違いです。同じ部位に発生した同じ病名のがんでも、ひとり一人の患者さんによって、実はがん細胞の遺伝子は異なっていて同じ病気ではないのです。最近の研究で、ヒトとチンパンジーの遺伝子の差はDNAのレベルでは数パーセントしか認められないのに、最終的に両者の身体を構成するたんぱく質の比率は8割も異なると報告されています。
このように、わずかにでも遺伝子に差があると、結果として構成されるたんぱく質には大きな違いがでてしまい、同じ病名でも全く性質の異なるがん細胞になってしまうのです。だから、細胞分裂の速度が速いがんもあれば、ほとんど増大しないとても穏やかながんもあるのです。

さらに、同じ一人の患者さんの身体の中にも、実は、遺伝子の異なったがん細胞が複数存在しています。最近の傾向として、がんの幹細胞という概念を使って、がん細胞とがんの塊の関係を女王蜂と蜂の巣に喩えることが増えてきました。ものすごく簡略した説明だけがなされて、それを鵜呑みにしている人が多い印象ですが、実はがんの場合は普通の蜂の巣と違って、一つの蜂の巣に女王蜂は一匹ではないのです。

一番わかり易い例を挙げると、がん細胞のホルモンレセプターがあります。乳がんなどでは、細胞検査でホルモンレセプターが陽性か陰性かを調べますが、陽性といっても100%で陽性の人はほとんどいませんし、0%で陰性という人もほとんどいません。実際は、ほとんどの人は数%から95%くらいの範囲でばらついており、人為的に10%以上なら陽性などとしていただけです。50%の細胞がレセプター陽性なら、検査結果は立派な陽性ですが、実は半数のがん細胞にはレセプターがないわけです。もちろん、レセプターを持つか持たないかは遺伝子の違いで決まっています。このように、少し考えれば、一人の身体の中でも複数の女王蜂の存在が明白なのですから、ましてや他人のがんと自分のがんを同一視することなど、きわめて愚かなことだと分かります。
 

転移するがんと転移しないがん

 
がんの塊がかなり大きくても、転移していなければ、放射線や手術でなんとか治療できます。逆に原発部位が小さくても、身体中に転移が広がっていると手術の意味は乏しく、放射線治療も難しくなります。残念ながら、全身的な薬物療法は、なかなか治療の決め手にはなりませんので、転移の有無はがんが完治するかどうかの大きな指標になります。

原発巣に発生したがん細胞が、離れた部位に転移するためには、がんに様々な能力が備わっていることが必要になります。

まず、がんの周囲の正常組織を破壊して血管やリンパ管に侵入する力が必要です。そして、血管やリンパ管の中を移動した後に、新たな部位に定着して、その場所でも正常組織を破壊しながら細胞分裂を繰り返す能力が必要です。その結果として転移病巣が増大して、一定の大きさになると発見されるわけです。このような能力ががん細胞に備わっているかどうか、これもがん細胞の遺伝子で決まっています。

そして、上述のように、普通は一人の患者さんの身体内には複数の遺伝子を持った性質の違うがん細胞が混在していますから、転移する能力を持つものも持たないものも混在しているでしょう。
 

免疫力の大きな介在

 
がんが治るかどうか、治らない場合でも長期間にわたって穏やかにすごせるかどうか、この重要な問題の大きな鍵を握っているのは、一つはがん細胞自体の性質ですが、それと同じくらい重要なのが、患者さんの身体に備わっている「免疫力」という不思議な力です。生命という現象は、それ自体とても不思議で複雑なものですが、その生命に付随する免疫という力も、現代の医学ではとても十分に解明することなどできないくらい複雑で巧妙です。

そもそも、がん細胞が身体の中で生まれてしまった場合、免疫細胞が、その時点で「敵」だと判断して攻撃すれば、がん細胞は育たないわけです。しかし、自分の身体の一部だと判断して、免疫に見逃されると、がん細胞の細胞分裂が進んでいきます。

しかし、最初にがん細胞を見逃してしまったからといって、その後も免疫ががんに対して全く無力であるということは決してありません。
花粉症などのアレルギー疾患も免疫細胞によるものですが、同じ生活を続けているのに、ある年のあるときに突然発症します。その時点で、免疫にスイッチが入ったわけです。一度発症してしまうと、毎回同じ刺激に対して同じ反応をくりかえしますが、最初にスイッチが入るのはいつか予想はできません。しかし、同じ生活の中で、突然スイッチが入ったことは明白です。

自分の身体の中で発生したがん細胞を、最初は見逃してしまった免疫細胞でも、がん細胞が分裂を繰り返して周囲の正常組織を破壊し、さらには転移までするうちに、実は有害な「敵」であったことに気づき、スイッチが入ると、がん細胞への攻撃を開始します。

実際、大勢の患者さんを治療していますと、肺がんの脳転移や副腎転移、乳がんや大腸がんの肺転移や肝転移など、別の臓器に転移したがんのなかにも、原発部位と転移部位を治療した後、何年も様子をみていても、どこにも新たな転移が出ない人が時々います。私の患者さんにも何人もいますし、がん治療を専門にしている外科医や放射線科医ならそれなりに経験があると思われます。

このような場合、がん細胞は転移する能力を持っていたわけですし、血液に運ばれて身体中の臓器にがん細胞が到達したはずですが、なぜか病気がそれ以上暴れだしてこないわけです。それには、患者さんの身体の免疫力が大きく介在しているとしか考えられません。

また、逆の例としてよく見かけるのは、進行がんだからと、強い抗がん剤の治療を受けているのに効果が上がらず病気はさらに進行している。副作用が強いので治療を止めてみたら、がんの進行がむしろ遅くなったという場合です。このようなケースは実は巷にたくさんあります。抗がん剤が効くかどうかは、がん細胞の遺伝子で決まっていますので、効くものには最初から効き、効かないものには永遠に効きません。抗がん剤ががん細胞に効かない場合には、がんに対しては無治療と同じことで、抗がん剤の副作用として、せっかく頑張っている免疫細胞を一定量破壊してしまうのですから、病気の進行を後押しすることになります。だから、抗がん剤を止めたら免疫力が戻って、病気の進行が遅くなったわけです。

このような免疫力の介在は、おそらくすべての患者さんの身体の中で、程度の差はあっても、自然に起きている現象だと思われますが、現代医学は、それを正しく評価できるほど進歩していません。どうしたら免疫力を高めることができるか、医学的には全く確立されていません。細菌に感染すると白血球の数が増える、といったシンプルな免疫の動きは簡単に把握できますが、がん患者さんのリンパ球を無理やり増やしても、病状が改善することはないようですから、数ではなく質だろうと思われます。しかし、その「免疫の質」というものが、まったくと言うほど解明されていません。だから、食生活や睡眠などの日常生活に気をくばり、できるだけストレスを減らして健康に暮らす、多少嫌なことがあってもくよくよしないで、嬉しいことがあったときには目いっぱい喜んで笑顔を増やすといったアドバイスしかできないのが現状です。

がんワクチンは理論的には魅力を感じる方法で、自分のがん細胞からワクチンを作れば随分効いてくれるような気がしますが、実際には大勢の患者さんが受けている割には、私の知る範囲では著効した患者さんをまだ見た事がないので、まだ決め手になるところまでは到底到達していないと思います。

免疫力は自然治癒力の中核をなすとても重要な力ですが、どうすれば活性化できるのかは残念ながら不明です。ただ、これが強いと、どんな病気でも完治しやすくなり、完治しない場合でも元気で長生きにつながることは確かです。日本脳炎や麻疹や風疹などのように、病原体がほとんど均一な病気は、予防接種で免疫力を獲得できます。しかし、インフルエンザやノロウイルスなどの一般的なウイルス感染については、子供のころは免疫力が不足していて感染し易いのですが、大人になると免疫力が上がってくるので流行しても感染しにくくなります。逆に普段はとても健康な大人でも、過労などで身体が疲弊していると免疫力が低下して感染し易くなります。

10年以上前から大勢の人がインフルエンザの予防接種を受けるようになりましたが、毎年インフルエンザは流行していますし、お年寄りなどで体力のない方では重症化はめずらしくありません。このように考えると、多くの病気に対して、免疫というものは人から与えられるものではなく、自分で獲得して向上させていくものである。おそらく、がん細胞に対する免疫力も同じではないか。この印象は、医者の仕事を続けるほどに強まってきています。
 

リンパ節転移の不思議

 
どの臓器に発生したがんでも、リンパ節に転移しているか、いないかで、治る率に差がでます。もちろん、リンパ節に転移している場合の方が完治率は低くなります。これは、先に説明しましたように、がん細胞に転移できる能力が備わっていたこと、すなわち、がん細胞としての性質の悪さを現しているからです。

しかし、手術以外にがんの治療法がなかった20世紀半ばの論文を調べると、がんがリンパ節に転移していても、結構大勢のがんの患者さんが手術だけで完治していました。胃がん、乳がん、大腸がん、肺がんなど発生頻度の高いがんではデータがたくさん残っています。これに対して、臓器に転移している患者さんの完治率は、それより一桁低くなってしまいます。リンパ管に浸潤してリンパ節に転移するのと、血管に浸潤して臓器に転移するのと、がん細胞に備わっている能力としては大差ないように思うのですが、結果として完治率は大きく異なります。

最近、個人的に、これには免疫力が大きく絡んでいるのではないか、と考えるようになりました。つまり、がん細胞がリンパ節に侵入して細胞分裂をしている時点で、免疫細胞にスイッチが入って、そこから先のがん細胞の浸潤、増大に抵抗しているのではないかと思うのです。もともと、リンパ節は身体に侵入したウイルスなどの「外敵」と戦うためにあるわけですから、がん細胞という、いわば「内敵」に対しても、食い止める働きをしているはずです。細菌感染の場合は、菌の増殖を感知した後に、血液中の白血球が増加して細菌と闘うことがわかっています。同じように、がんに対する真の免疫担当細胞も、がん細胞を認知した後、必要な細胞の数を増やして闘うはずです。ただ、ウイルスが身体内に侵入しても発病しないで済む人から、発病する人、さらに重症化する人までいるように、がん細胞に対する免疫の抵抗力にも、相当大きな個人差が存在していることは間違いないでしょう。

残念ながら、個々人の身体内で、がん細胞と免疫担当細胞がどのように争っているのか、そこに放射線治療や抗がん剤を介在させたときに、どちらの細胞にどのように働きかけるのか、その現場を細胞レベルで目撃できるほど、現代の医学は進歩していません。しかし、治療法の選択が難しい場合には、漫然と同じ治療を繰り返すのではなく、臨床経過を正しく評価しながら、無理や矛盾のない推測を重ねて治療方法を検討していくことが、個々の患者さんに対して最良の道だと思います。